2019年06月21日

尾道トークのご紹介 (児玉真美さん-宍戸監督)

6月1日にシネマ尾道の11:30~の回上映後に開かれた児玉真美さんと宍戸監督によるトークを、新聞記者のMさんに文字起こししていただいたのでご紹介させていただきます。
どうぞお読み下さい。

S:皆さん、こんにちは。監督しました宍戸です。たくさんお越しいただきありがとうございます。今日は、児玉真美さんとトークを。この人映画に出てないな、と思うと思いますが、出てないです。呉からお越しいただき一緒にトークさせてもらおうと。今日は立ったままですか?

 

K:ばばあ、ですけど頑張ります<会場笑>

 

S:児玉さん、何者かを自己紹介していただいて良いですか。

 

K:何者か自分でもよく分からないのですが、とりあえず、知的にも身体的にも重い障害のある娘がいる、売れない物書きです。障害がある人の医療とか生命倫理とか尊厳死とか、そういう問題をテーマにしてきた関係で、監督の前作の『風は生きよという』という映画の時に、これは人工呼吸器を付けて生活をしている障害者の人たちの生活をとても淡々と描いたとても良い作品ですが、これを撮っておられる時に、ちょっと話を聴かせてほしいと言われて、私は話さえしたら良いのだとお待ちしていたら、カメラをかついで呉まで来られた。

 

S:言ったと思いますよ<笑>

 

K:ついうっかり、ちょろっと出てしまった。それ以来のご縁ですよね。

 

S: 5年前ですね。その時、僕は呼吸器を使いながら地域で暮らす障害がある人たちを描いた『風は生きよという』という作品で、児玉さんご自身にも出てほしかったし、海さんという娘さんにも出てほしかった。呼吸器は付けていないですけど、重度の障害がある子を持つ親御さんとして出てほしいと。それを、児玉さんが娘はカメラNGだと。親と本人の意思というところをしっかりと分けて。親が良いと言ったからって、本人が良いと言ったわけではないという。その辺がすごく倫理的に厳粛で、厳格な方だった。僕はそれ以来、児玉さんて素敵だなと。

 

K:すみません、理屈タレなもので。

 

S:本もそうですが、素敵で。今回、児玉さんに是非、お越しいただきたいと思ったのが、映画を撮る時に、重度の知的障害があって、自閉症があって、家の中で暴れてしまって、というような人、子を持つ親御さんのことを考えていた時に、児玉さんだったらどういう風にこの映画をみるかな、って、ずっと思っていて。制作中もそうですし、いま終わってからも、児玉さんだったらどうみるかな。僕にとっては先生みたいな怖い存在でもあって。今日観てもらって、4回目くらい?

 

K:もっと見てます<会場笑>

 

S: 感想を伺えますか?

 

K:5年前に、呉に来られた時に、監督が呉の公園の隅っこのちっこいちっこい虫をずっと追いかけて撮っておられたんですよね。

 

S:ダンゴムシ。

 

K:そうそう、ものすごく、楽しそうにね。それを見て、この人は自然の中で営まれている、小さな命を撮るのが好きなのだな、と思ったのですけど、今回の作品も、そういうことがたくさん盛り込まれていて。見ていると、人も、こんな風に生きられたらいいね~っていう監督のすごい純朴な願いのようなものが、伝わってくるなと思いました。
障害者の生活を描いて、こんなふうに自然に随所に笑かしてくれる作品というのも、あまりないかなと思うんですけど、リョウスケさんがおむすびの数を巡って、介助者と駆け引きをしているあの微妙な表情とか。「たー」を巡ってヒロムさんが、介助者をいじっているところとか。この人たちってものすごく、したたかですよね。このしたたかさっていうのは、いわゆる重症者である、うちの娘も同じなので、なんか、「障害者あるある」として、ふふって、笑えてしまう。
でも、ああいう場面って、考えてみたら、案外に介助者にストレスがかかっていますよね。だから、ああいうのが繰り返されてしまったり、どこかひとつ展開が違ってしまったり、ひとつ間違えたら、笑うに笑えない局面にも、なるかもしれない。そういう場面でもある。
親ですから、楽しいこともあるし、しんどいこともあるし、両方ともごちゃまぜで暮らしって成り立っているよね、というところがあるんですよね。色んな思いを織り込んで、ああ、あるあるって、むちゃ共感できる。そういう映画なんだな、と思ってみました。

 

S:それだけじゃないでしょう(笑)ありがとうございます。そうですね。なんだろうな。今日は児玉さんみたいな、立場の人…。立場の人っていうかな。お子さんが重度障害があって、それで入所施設に入っておられる。その入所施設にお子さんがおられる親御さんとトークさせてもらうっていうのは、初めてなんですよ、今日。その視点から、どういう風にみるかなって、聞きたかったのです。
なんていうか、この映画に出てくるような暮らしをしている人が、全国で100人前後しかいないと言われていて。重度訪問介護という制度を使い、地域でヘルパーと一緒に自立生活をしている。身体障害の人はもっとたくさんいるのですけれど、歴史的な流れの中で。『こんな夜更けにバナナかよ』って最近あった映画で、あのころはボランティアでしたけれど、あれから法制度をずっと障害当事者自身がつくってきて。色んな支援者と共に、制度ができて。身体の障害の人は少しずつ地域に出やすくなってきた。
でも一方で、知的や精神の障害の人は、なかなかまだまだ、入所施設、それから親元で暮らしている人がたくさんいるよねっていう状況の中で、ああいう取り組みは、2014年から、重度訪問介護制度が知的、精神の人に広がって、今の仕組みになり。少しずつ増えて、それでもまだ100人前後。これね、じゃあ、尾道でって考えた時にできるの?って話があるし。呉でもできるの?っていう時に、そこへの応答が必要だなと僕は思っていて。人口の少ないところ、事業所の少ないところ、こういう生活を支えてくれるヘルパーのなり手の少ないところで、どうするの?っていう。どうするの?を突きつけてくれるのが、児玉さんなのです。

 

K:どうするの、って……、本当にどうするの?って言いたいですけど。私は、監督が仰ったように、娘を6歳の時に、施設に入れる選択をせざるを得なかったのですね。そういう親として子どもを施設に入れたという罪悪感はずっと引き摺ってきたし。今、娘は31なのですが、施設で、めちゃ幸せそうに暮らしていて。うちの娘はYESの意味の「は!」しか言葉がないんですけど、でもその「は!」と、それからアバウトな指さし、目つき、顔つき、全身の表情、それから音声のトーン、もうありとあらゆるモノを駆使して、人を使いこなし、シモベみたいな職員さんを何人もつくって、結構、楽しく暮らしているのですね。ただ、私の中には、親として、施設に入れざるを得なかったという罪悪感とか、引け目というものがある。私、今回、このお話をいただいた時に、なんで私なんだと、くってかかったくらい。
この映画を見せてもらい、いい映画だなと思うのです。みんなの笑顔が素敵、特に知的障害のことをあまり知らない人にいっぱいみてもらいたいと思うのですが。と同時に、親である私は、なんだかこの映画から脅かされる。

 

S:脅かされる。

 

K:脅かされるんです。地方在住の親御さんの中には、この映画をみた時に、脅かされる感じがある人が、おられるんじゃないかな、という気がしますけどね。

 

S:なんか、こう、できてすごいね、いいね、という話を吹聴している自分の軽さみたいなものを突きつけられる、というかね。そういうのを感じるので、脅かされるという話をもう少し聴きたいです。

 

K:だってね、こういう生活をさせてやれていない親の方が、大半なわけですよ。でも、じゃあ、その親たちは、リョウスケさんの親ほど賢くなかったのか。愛情や努力が足りなかったのか。というと、そういうことではない。
尾野一矢さんのご両親が、グッドライフと出会った。あれ、良かったなと思う。尾野さんは本当に、体を張って、施設側の論陣を張ってくださった方なので。良かったなと。でもそんなふうに、出会いに恵まれる方ばかりではない。出会いたくても、その資源すらないところに住んでいる方も多いわけですね。障害によっても事情が全然違う。
そのことを考えた時に、ヒロムさんのお母さんが語っていたちょっと前までの生活のように、夜通しおしっこを拭いて、洗濯をして、ほとんど寝られずに仕事に行って、帰って来て、すごいヘロヘロくたびれているのに、自分を噛ませて、他の子を逃がす。今この時も、そういう生活をしているご家族っていっぱいおられるわけですよね。
そういう親御さんたち皆さん、我が子にはもっと豊かな生活をさせてやりたいと願っておられると思う。でも現実の制約に色々と取り囲まれているから、親が願うような生活をさせてやれることはほとんどない。そういう親たちが映画をみた時に、自分の中にある、その素朴な願いとあらためて、直面する。中には、なんで私はもっと豊かな生活をこの子にさせてやれなかったんだろうって自問する人もいるんじゃないかな。
私はやっぱり、一番最初に見た時に、それを映画からずーっと突きつけられているような気がしたんですよね。でもね、自問をしたところで、自分の今のこの生活って、色んなしがらみにからみつかれて今ここにあるわけで。急にそれをどうこう変えられるわけではない。今だと、変えようと思っても、福祉がどんどん厳しくなってきていたり、私の世代だと、親自身が老いに直面してきている。
そんな中でこの映画をみて、ここにこういう生活を実現させてやれた親がいるぞ、お前は、どうだ? と問われてしまう。そりゃ、痛いじゃないですか。

 

S:お前はどうだ、ね。

 

K:この映画から、思いが強い親であればあるほど、問われてしまうような気がしますけどね。

 

S:お前はどうだ、のところで、児玉さんがお持ちになっているパンフレットの中で、生活書院という出版社の高橋淳さんにレビューを書いてもらったんです。高橋さんはお兄さんが、リョウスケさんたちのような障害があり。子どものころ、福島の入所施設に入られて。ここにも書いておられて。相模原の事件の後に、3度殺されたというような言い方を当事者がされて。殺した側に、自分も入れられているという感じ。あの突きつけられている感じというのかな。脅かされる感じ。もうちょっと、上映の後に、色んな形で映画を観た人と、話をする場をつくっていく必要があるんじゃないかという風に書いていた。僕はそれが、すごくいいなと思って。
今回も、児玉さんや色んな人と話をしたいなと思ったのは、あれができればいいよ、って話で終わらずに、じゃあ、誰が一緒に暮らしていく?という、その誰がに手をあげる人とか。自分も一緒に暮らすという人が現れてほしいなという思いでやってきたのです。打ち合わせにない話ですが。<会場笑>

 

K:どうぞ、語ってください。

 

S:僕自身、おばに知的障害があって。祖父母が山形で暮らしていたのですけど。山形の田舎の方に行けば、あっという間に田舎しかない、というと山形の人に怒られますが。山形市を外れたら、田んぼしかないようなところで。祖父母はそこで暮らしてきて、農家だったのですけど。そこに知的障害があるおばがずっと暮らしていて。いま60を過ぎているのですけれど。祖父母が亡くなってからは、僕の方の実家、宮城県でずっと暮らしているのです。
そのおばが、色んなことを自分でやれる人なんですけど、ほとんど、街に出て、話をするとか、知っている人がいるという環境になかったのですね。小学校の時に、学校に行かなくなり、それから在宅生活をずっとしていて。
祖父母にこういう生活をもしも伝えたとしても、誰に相談したら良いか分からないし、相談に乗ってくれる身近な人も、たぶんいなかっただろうなと思うと、親を責めてほしくないという思いがある。僕にはある。祖父母の、貧しいながらも、貧しいからこそ働けど、働けど、貧しくなるみたいな、農家の暮らしの中で、うーん、じゃあ、おばのことを誰かに相談しようよって言った時にね。それはたぶん、まったくイメージがつかない話だろうなと思うと、そういう家族は全国に、そっちの方が多いはずなので、そういう時に、こういう生活があるよ、というだけで終わらせたくないというか。一緒に、家にいって、出かけてくれる人を探したくなるというのかな。そういう、思いなんですよね。

 

K:そこが一つの問題。具体的に、誰がいるのかと。実は、私はなんで、このパンフを持っているのかというと、いまの高橋淳さんの文章。この映画をみて、ざわざわっとしているご家族の方がおられたら、是非、読んでいただきたい。是非、このパンフを買って帰っていただきたいとお勧めしたいんですが、いくらでしたっけ?

 

S:税込み、700円。なんと今日はサインもついて、お値段変らず700円。<会場笑>

 

K:たぶん20年後くらいに、監督が巨匠になられたら、なんでも鑑定団で7万円になるかもしれない。是非、お買い上げいただき、高橋淳さんの文章を読んでください。高橋さんって、生活書院という、言ってみれば自立生活運動のアジトみたいな出版社の社長さんなんですけど、最近お兄さんを亡くされました。そのお兄さんが、故郷、福島で施設に入っておられたんですね。その文章の中で、個々に色々とあるじゃないかと書いておられます。
その中に「ひねくれてしまった私たち」という言葉があるんですけど、それは、相模原の事件があった後に、施設に入れた家族がまるで真犯人であるかのような議論が出てきて、そのことに高橋さんも、私も、随分と傷ついた。だから「ひねくれてしまった私たち」っていうのは「傷ついてしまった私たち」なんじゃないかなと私は思っていて。そんな風に、ひねくれた一人として、この映画を見て、ざわざわしておられる方がいれば読んでもらいたいと思うのは、私が救われるのは、宍戸監督が、高橋さんの文章をこのパンフに載せてくれたということに、私は親の一人として救われたのです。
ついでに、つけ足していいかな。最後のページかな。監督の顔写真がある。この顔が結構怖い。監督はこう見ると、まるで禅寺の坊さんのようじゃないですか? ちょっとストイックな好青年風。でもこの写真を見ると、なかなかどうして、ヤバいものが潜んでいる。これからの宍戸作品には、そういう毒がにじんでくる、そして巨匠を目指す。なんでも鑑定団でサイン入りのパンフが70万になる。私はそういうのを期待しています<会場笑>

 

S:なんせ映画の街、尾道ですから。いや~、良い人っぽいと言われるのですが、全然そんなことは。でも誤解してくれる分にはありがたく誤解していただいて。自分の中で葛藤があって。ドキュメンタリーを撮り始めた自分の原点は、東京に高尾山って山があるのですが、そこはとても自然が豊かな山で、そこにトンネルを掘って、道路を通すという話があった時に、僕は子どものころから生き物が好きで、今日も鳥たちにいっぱい出てもらいましたけど。ああいう生き物、声を出せないけど、いま共にいる存在に目を向けさせたいっていう思いうでドキュメンタリーを撮りだしている。なんかこう、プロパガンダなんですね。原点は。

 

K:そんな…。一緒にいるってことじゃないですか、原点は。この映画を見ていたらね、自然の中で、人が生きるとか、日々を暮らすという。朝起きて、ご飯を食べて、おしっこして、うんこしてね。ちょっと出かけて用事をして、ちょっと道草して遊んで、帰って来て、ご飯を食べて、また寝るみたいなね。それでいいじゃんって思えてくる。そういうプロパガンダです<笑>

 

S:うん。そうですね。自分の原点にあって、そういうことをこれからも伝えていきたいなという風に思いますね。はい。

 

<質疑へ>

 

Q1:たまたま愛知県から友だちのところへ。チケット買ってあるからと誘われて。すごく自然が美しく。どこだろうと思ったら石神井公園。そのくらい、生きている感じが自然に描かれて、とても良いドキュメンタリーで。今日はありがとうございます。
一つだけ質問。介護される方も、介護者も、両方とも、男性ばっかりだったので。最後の方に、介護者の家族がいて、お子さんがいてという風景でほっとした。今はLGBTとか色んなこともあるので、そこらへんのところ、もやもやしながらみていたので、正直なところ。監督にうかがえたら。

 

S:よく、聞かれるのです。児玉さんも、最初に感想を送ってくれた時、なんでこんなにムサい男ばっかり出てくるの?と<会場笑>

 

K:本当に、軒並みムサい男ばっかり<会場笑>。なんで、オッサンばっかりなんだと。

 

S:監督も同世代のムサい男。

 

K:そんなことないでしょ。

 

S:それは置いておいて。女性は、いらっしゃるんですよ。自立生活をされている方、僕も取材中に、京都と東京で、自立生活をされている女性と介護者の様子をカメラなしで見せてもらった。女性にせよ、男性にせよ、介助者と本人との関係を撮りたかった。男性同士の関係って、僕自身が男性というのもあって、結構、シンプルなんですよね。やりとりも。女性同士を見た時、男性として、女性同士の関係を一人で入って撮るのが、難しいなと思った。
あとは、前作もそうだけれど、児玉さんもそうですが、海老原さんという障害当事者に出てもらったのですが、海老原さんは自分で言葉で言って、ここまでオッケーだけど、ここまではNGみたいなことを言ってくれるので撮影をやりやすかったのですが。知的の当事者の場合、特に行動障害のある人の場合、突然、裸になったりということもありうる。そこで僕がいるのもどうかなと。自立生活をしている人は女性もいます。ただ男性の方が多い印象ですね。今まで色んなところを回ってきて、拝見した感じだと、7割、8割は男性の自立生活が多い印象です。

 

Q2(若い男性):すごいおもしろかったです。道草をする主人公の方々。カメラに対してリアクションするシーンも。繊細な方たちと思って。カメラがストレスになったり、逆におもしろがったりはあったのかなと。

 

S: そうですね。特に、おじさんとか僕、言われてましたけど、カズヤさんの中では僕はずっとおじさん。そういうことも含めて、カメラに向かって自然に話しかけてくれることは、しばしば。リョウスケくんなんかは、ちょっとおもしろがってますね。ヒロムくんも。
リョウスケくんは最初、夕方、ブランコに乗っている時に撮り始めたら、やめちゃったんですよ。タタタタって僕の方に来て、モニター画面をのぞくんです、ちらっと。「リョウスケくん、いま撮れてないから、もう1回あそこでブランコやってくれない?」と言ったら、じっと黙って。僕の方を見て、ほほに突然、キスをして<会場笑>。タタタタっとまたブランコに戻って、全力こぎしてくれる。これはもう、ハートを掴まれますよね。リョウスケくん…好き、って。後でお父さんの耕典さんに聞いたら「あれは手なんですよ、介護者は大体、みんなチューされてますから」と。「介護者は、あいつはおれのことが好きなんだ、と言って、リョウスケのことを好きになる、リョウスケの人心掌握術なんです」と言われてましたね<笑>

 

K:したたかだね、本当にねぇ。

 

S:ユウイチロウくんは結構、ナイーブな人で、何回か、ガラスを割るシーンの時もそうだったのですが。イライラしてきているのは自分でよく分かっているので、そのシーンを撮られたくないっていう時は、「宍戸さん、カメラを止めてください」とはっきり言いますね。その時は、止めますね。止めた後からヒートアップして、ガラス割っちゃうところまで行っちゃったりして。

 

K:宍戸さん自身の判断で映さなかった場面はありますか。

 

S: あのガラスを割った場面はそうですね。僕はあの時、介助者と止めていたので。蹴られたりして、結局、割れちゃったんですけど。ああいうところを、僕自身は、本人が嫌だと言ったのもそうだけれど、そういうところを、映したくない。そういうところを見せたいわけじゃない、というので、止めたし、あの後お巡りさんが7,8人来て。パトカー4台くらい来たんですね。でもお巡りさんも本人の障害が分かったら、ああ、じゃあ示談しましょうと。そういうところも、別に撮りたいわけじゃない。

 

K:パンフで宍戸さんが書いておられることの中に、電車の中でユウイチロウさんが不穏になっておられた時に「早く落ち着いてくれないかな」とイライラしたと。結構、他にもありましたか?

 

S:そうですね。今でもそういうところがあって。ヒロム君が、東京でこの間、公開の時に来てくれたんですよ。舞台挨拶にも立ってくれて。劇場着いた途端に「おすし~、おすし~」とでっかい声で入ってくる<会場笑>。ヒロムくん、ちょっと、う~んって。ベテランの介助者のタニさんとか、お母さんとか、慣れているんですよ。「ね~、食べに行こうね~、お寿司」。僕はなんだハラハラして「し~」とか言っちゃうタイプ。
だから、撮影したから何かが変わったっていうのがそんなに山ほどあるわけではないけれど、一つ思ったのは、ユウイチロウくんが荒れてくる時、本人の中での脈絡がちゃんとあって。こういうことかなってこっちの中でも。当たっているかは分からないけど、こういうことかなって想像できるようになったのは、彼らと出会って気づけたことですね。

 

K:作品の中で、ユウイチロウさんのケースが入っていること、ちゃんと描かれているのは大事なことの気が、私もするのですよね。私は自立生活運動が声として出てくるとき、これさえあれば問題解決なんだとか、これが正解なんだと出てくるとちょっと…と。この映画の描き方のように、ひとつの形として、こういうものを模索しているのだと。それでうまくいかないところもいっぱいあるし、こんなことで、みんなで悩んだり、苦しんだりしているけれど、どうですかね、という問いかけ方で来てもらえると、親もあまり、ひねくれずにいられるのかな、と思います。

 

S:そんなひねくれそうな児玉さん、今日は本を、著作を3種類、2冊ずつお持ちいただいてます。なんとサインを。

 

K:いやいや、そういう物書きではないので。

 

S: なんでも鑑定団で7万円になるパンフレットと本と、是非、お買い上げ下さい。

 

司会:最後に一言ずつお願いします。

 

K:何も用意してなかったのですが。さっき話に出た、介助者の人たちが主役としてみても、見られる映画かなと。なんでこんなにムサいのか、というのもあるけど、ムサいなりにみんないい顔しているよね、って。こういう働き方、生き方もありだよね、ちょっと素敵だよね、と思わせてくれるところもあって。こういう暮らし方をしている人がいて、それを支える人がいて、仕組みがあって……というのは重度知的障害の家族の方にとっては、やはり、希望だろうなと思います。
ただ、一人一人が生きている現実とか、地域の実情、家庭の在り方は、それぞれ、一つだけのモデルで問題解決できるほど、シンプルではないので。そこは、こういう映画のような、模索しながら、こうやっているのですよと。基本は、監督がさっき仰ったように、誰が一緒にいてあげるのか。親から見ても、誰が一緒にいてくれるのだと思うのでね。そういうふうに提示をしていただけると、親もひねくれずに一緒に考えられるなと思います。

 

S:児玉さんが仰ったように、時間をかけて、長い時間がかかっても、上映会や劇場公開をしていきたいと思います。皆さんも興味を持っていただけたら、隣の方に伝えていってほしいなと思います。

 

終了